ウミネコラム

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【ブックレビュー】マウリツィオ・ラッツァラート著『記号と機械』

現代社会を考えるうえで重要な概念に溢れた著書なのでご紹介。
『記号と機械 半資本主義新論』マウリツィオ・ラッツァラート著、杉村昌昭+松田正貴訳

 

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マウリツィオ・ラッツァラート著『記号と機械』

 

その重要な概念とは「社会的服従」と「機械状隷属」の二つ。
「社会的服従」とは、社会・経済を動かすうえで周到に役割分担された個人と彼らに突きつけられる自己責任という名の断頭台である。
「機械状隷属」とは、ある組織やシステムを回す歯車として、個人がもはや機械のパーツのように構成部分の一部とみなされる状態である。
これらの権力装置が相互補完的に作用して出来上がるのが、現代社会の縮図である。
整理すれば、

服従は個人を生産し、支配するが、隷属においては「個人は<分人>[dividuel=分割可能なもの]となり、群衆はサンプル、データ、市場、あるいは<バンク>となる」”(p.39)

本文はその後、それを超克するための試論を展開し、合間に面白い話がいくつも出てくるのですが、この時点でこの状況に気づかないまま過ごしている人々があまりに多そうなので、とりあえずこちらにフォーカス。

都合の良い代替可能なパーツを生産し続けるとともに、それらを取りこんで肥大化していく機械もまた増産され続けているわけですが、人間を機械と見なすのはなかなか慣れない人もいるかもしれません。
しかし、事実問題として、機械的に扱われている状況が現に社会に蔓延しているんだから考えもの。でないと長時間労働の問題なんで発生しない。

だから、AIやオートメーション化によって仕事が無くなる、という懸念をしている人々には、そもそも代替可能な「労働」でしかなかった、という可能性があることを提示したい。もっと言えば、人間という機械よりもより優秀な<機械>(文字通りの)に置換されるだけのこと。

それと、今の就職活動はこの二重の権力装置に迎合するよう強いてくる。自分たちの動力源を確保することが第一ですからね。
必ずしもそれが悪いことではないし、彼らがいることで成立している部分は多分にありますから(元はと言えば、この文章は彼らの存在に支えられている)、否定はしておりません。

ただ、現代社会はこのような権力装置によってまるで機械のように動いているということを、自覚しておいた方が良さそうです。

※本文とはあまり関係ないですが、装丁がとても素敵です。出版社の共和国は下平尾さんによるひとり出版社なのですが、作品のエッジといいデザインといい、書店でもすぐ目に留まる切れ味です。ちなみに読んだのは以前の装丁版ですが、カバーが見たことない手の込み方です。